高倉天皇後清閑寺陵
のちのせいかんじのみささぎ
京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町
高倉天皇は治承5 年(1181)正月14日 (に崩 御 し た 。遺 骸 は 天 皇 崩 の 夜 に 清 寺 の 法 華 堂 へ ら れ た と さ れ る 。 後 世 、 法 華堂は失われたが、僧による祭司は行われ、「元 禄の御陵改め」においても所在は明らかであった。 なお、当陵の 墳は方丘であるが、谷森善臣や上野 郎は法華堂の基壇 の一部と指摘している。
令和3 年8 月集中豪雨により特 別拝所の西側崖面が崩落、崩落し た土 砂を取り 除き地盤改良工事と盛土補強工事が実施された。
『書陵部紀要』第75号〔陵墓篇〕 令和5年度から引用
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